『こちら揃江さんのお電話番号でお間違いないでしょうか私(わたくし)南方智恵子(みなかた ちえこ)と申します突然のことで大変ご迷惑なされていると思いますがどうかお知恵をおかし願いたくてお電話を差し上げた次第です私(わたくし)中学時分より自他共に認める無類書籍好きでして数奇者と言い換えても過言ではないかと思いますそうして今年の春設けて大学に就学したのですが今日まで積もりに積もり積み上げてきた本にマンションの専有面積と心の余裕ともに圧迫される事態に陥ってしまったのです折しも先日両親より貴方の名刺を受け取りましてこれは渡りに船だと喜び勇んで『旅先片づけ請負人』こと揃江繕明さんに部屋の整理を依頼したいのです』
 これが通話ボタンを押した繕明が、
「もしもし」
 と、定例句を口にした後、わずか数秒のうちに起こった出来事だ。息継ぎや句読点はおろか、抑揚すらはぶかれた語調だった。

 それなのに、営業帰りに秋晴れの暖かな陽光の降り注ぐ公園でふわりとした昼休みを過ごしていた頭でも、すっかり内容を理解してしまえるほど聞き取り易い声だった。
「つまり、部屋の片づけをしに行けばいいんですね?」
「はい! そうです!」

 京都から約1時間。大阪の中規模都市に智恵子のマンションはあった。学生や単身赴任者をターゲットにした普通のワンルームマンションだ。
 近くのコインパーキングに車を停めてきた繕明は携帯電話を取り出した。着いたら連絡をしてほしいと言っていたが――なるほど、集合玄関を開けてもらわないことには中にも入れない。
 智恵子は電話が留守番電話サービスにつながるギリギリで電話口に出た。
「も、もしもし」
 ――? 声は一緒だけど最初に聞いた時と違って覇気がない。
「お電話頂いた揃江ですけど」
「あ、はい! ありがとうございます」
 …………。 ん?
「あの……ドアを開けてもらわないと入れないんですが――」
「ああ! そうですよね。すいませんすぐに行きます!」
 通話が切れるものだと思ったが、走り出す音が受話口から聞こえてきた。なにかに躓いたらしく「痛っ!」という声の後にドサドサとなにかが崩落する。
 聞いては悪いと思い、繕明は自ら通話を切った。
 ややあってドアが開くと、上下灰色のスエットでどぎつい紫色の軽量サンダルという姿の女性が現れた。
 繕明が遠慮がちに会釈すると、彼女も会釈してきた。どうやら智恵子らしい。
 智恵子は手を前に向かって振るようにして駆け寄ってきた。今時珍しい丸めがね――繕明と同世代なら『アラレちゃん眼鏡』で通用する――をかけて、ストレートロングの黒髪が猫みたいななで肩をくすぐっている。
「ど、どうも」
「どうも」
 …………。 二度目の会釈から話が進まない。
「あの……案内して頂けませんか?」
「へ? あ! はいはい!」
 どうにも歯切れが悪い。なんというか、人との接し方がつたない。繕明は先日の電話を思い出す。
 本当にこの人が依頼者本人なのか?
 智恵子の後に付いていきながら繕明はそう思った。
 廊下を歩いている途中、不意に智恵子が口を開いた。それは彼女と出会って初めて意志を感じる言葉だった
「引かないで下さいね」

 引いた。ドアを開けた途端、繕明はどん引きした。血の気まで引いて軽く目眩がした。
 玄関に靴箱じゃなくて本棚が鎮座していた。入っているのは何故か絵本で、繕明が懐かしさを感じるタイトルもあった。
「出掛ける時間に余裕があった時とかは、このくらいが丁度いいんです」
 智恵子の案内で奥に進む。本来なら食事が並ぶべきテーブルの上に大漁の本、雑誌類がさながら区画整理された住宅地のように積み重なっている。全ての壁に本棚が据えられていて、一瞬書斎か書庫と見間違う風情だ――おそらく実際にはもう一回り広い部屋なのだろう。部屋の四隅は重ねられた本のせいで見えない――ゆえにコンセントも本に埋もれている。
 ふと見れば、床が迫り出して来てるのでは錯覚を起こすほど散らばった本の中にくぼんだところがあった。そこにはキャンプ用のエアーベッドと、その上は布団が畳まれていて、さらなる本が散らかされている――布団の方は畳まれていると言うより、本の物量に圧倒されて畏縮していると表現した方が似合っていた。
「出っ張ってますねぇ……」
 その言葉に小首を傾げている智恵子に繕明は言った。
「すべて必要な本ですか?」
「は、はい!」
 元気よく答えられて腰が砕けそうになる。
 まず、本棚の許容量を超えているのが問題だ。本はその形状から縦向きに立てて積み重ねることは不可能だし、横に重ねたところで必ずしもバランスが保てるわけじゃない。その証拠にそこここで本が崩れている。
 崩れた本の中に、一際大きく乱れている所を見付けて繕明はさっきの電話口の音を思い出した。
 このままじゃいつ怪我をしてもおかしくない。最悪を言えば、火災の危険性もある。しかし、幸い据え置きベッドではなかったのが救いだった。
 学生にはいささか訊きにくいことだが、
「南方さん、持ち合わせはどのくらいありますか? 余裕がある分で良いんですが」
「え? えっとぉ、その、自由に使えるお金ってことですか?」
「そうです。4万円もあれば足りると思います」
「ああ、じゃあ、全然大丈夫です――20万くらいはありますから」
 よし! 繕明は思わずガッツポーズを取りたくなったのをなんとか堪えた時――。

 \コン、コン/

 ノックが鳴り響いた。智恵子が短く思い至った声を上げて玄関に駆けていく。今にも積み上がった本に足を引っ掛けそうな危うい足取りだ。
 繕明がはらはらしている先でドアが開けられる。
「あ、ユカコちゃん」
 繕明と面と向かって話している時とは、打って変わって溌剌とした声が聞こえた――電話で聞いたあの声である。
「こんにちは、チエお姉ちゃん。ねぇ、絵本読んで~」
 屈み込んだ智恵子の背中で見えないが、来客は小さな女の子のようだ。
「ごめんねぇ、今お姉ちゃん忙しくて本は読めないの」
「えぇ~」
 子供特有の大人を困らせる響きが聞こえた。
 ――が、
「また後でならいいよ」
 智恵子が言うと、すぐに女の子は声をぴょんと跳ねさせた。
「じゃあ、約束!」
「いいよ――ゆーびきーりげんまん、うーそついたら、はーりぜんぼん、のーます」
 約束しおわると女の子は満足した様子で帰って行く。
 ドアを一歩出て「バイバーイ」と手を振ってから、智恵子が足早に戻ってきた。
「す、すいません。それでぇ――なんでしたっけ?」
 語勢がもとに戻った智恵子に、繕明はだしぬけに言った。
「寝床が少し高くなっても構いませんか?」

 かなり無理がある方法なのは承知の上だが、建てられてまだ5年と過ぎていないマンションと、智恵子の部屋が1階にあると言うのが判断の決め手となった。
 棚板可動式のカラーボックスを4×5の20架。そのそれぞれにキャスター付きの台車をあてがって長方形に並べ、その上にエアーベッドを置いた。これなら大漁の本を格納できるし、エアーベッドは冬場の布団の結露防止にはぴったりだ。
 もちろん、費用のことなどは全て説明した上で彼女には了承してもらった。
「ああ――これなら読みたい本も見付けやすいですし、読む頻度でも整理しやすいですね」
「今回は応急的ですので、本の整理の際はちょっと大がかりに棚を動かすことになります。またお金に余裕ができたらシステムベッドやロフトベッドの購入も考えてみて下さい。より空間を有効活用できますので。後は――」
 繕明が尾を引くように言うと智恵子が顔を上げた。
「玄関の本棚ですが」
「あ、あれは」
「あれは充実した機能を持っているようですので、そのままにしておきましょう」
 ほっとしたように、恥ずかしがるように智恵子は笑った。
 その顔にふとこんな質問をした。
「小さい子の扱いが上手なんですね」
「あ、あの子は上の階に住んでる夫婦の娘さんなんです。あのくらいの子だったら、普通に話せるんですけど――同年代や年上の人となると上手く話せなくて」
「え? でも、電話ではあんなちゃんと話してたじゃないですか?」
 そう、句読点や抑揚など使わなくても良いほどに。
「あれは……、たまたま上手くいっただけで――」
 智恵子はごにょごにょと言葉を濁した。
 これ以上突っ込んで訊くのも失礼なので、本の整理を始めることにした。
 ようやっと床が見えだした頃、繕明は一枚のメモを見付けた。パッと見で、智恵子が依頼の電話で言った文言が書かれているのが分かった。
「あ! そんなところに――」
 智恵子は繕明の手からメモを奪い取ると胸に押しつけ、怯えたような顔を向けてくる。
「よ、読みました?」
「少し」
 繕明が空気をつまんでみせると、智恵子は溜め息を吐いた。
「わ、私――人と話す時は、どうしても台本を作らないと上手く話せないんです。」
 もう一度、大きく溜め息を吐き、智恵子は整理に戻った。
 なるほど、だからあんなに落ち着きのないしゃべり方だったのか……。
 部屋はすっかり綺麗になって、床にはしっかりと歩くスペースが確保された。コンセントも綺麗に顔を出している。
「あの、それじゃ、報酬ってお幾らなんですか? 確か、旅費の半分でしたよね?」
「それなんですが、代わりに絵本を一冊、読んで聞かせてもらってもよろしいですか?」
「へ?」
 智恵子は素っ頓狂な声をあげる。繕明自身、どうしてこんなことを口にしたのか疑問だったが、なんとなく犬や猫と言った小動物を相手にする心境に似ていた。
「良かったらでいいんですが」
 繕明の突っ込んだ申し出に、智恵子はたっぷり1分間逡巡してから頷いた。
 繕明が選んだのは いわむら かずお著『14ひきのひっこし』 だった。14匹の鼠の家族が引越しをして、森の中に樹に素晴らしく機能的な家を造り上げるのが面白くて繰り返し何度も読んだ絵本だった。
 最初は怖ず怖ずと読んでいた智恵子だったが、瞬く間に声に張りが出た。実に気持ちよく文章が数珠つなぎになって耳に入ってくる。もういい大人である繕明でも、いつの間にか物語に聞き入っていた。小さい頃に感じた感動がかすかによみがえる。
 朗読し終わった智恵子は顔を真っ赤にしてこう言った。
「は、恥ずかしかったぁ。小さい子以外に読んであげたことなんてなかったから――」
「赤の他人の私にそれだけしゃべれたら誰とでも話せますよ。本を読んであげるように話したら良いんです」
「そうでしょうか?」
 疑問を言いつつも智恵子ははにかんで微笑み、繕明も笑い返した。

「ありがとうございました。では、私はこれで――」
 朗読の礼を述べて繕明は智恵子の部屋を後にした。
 集合玄関に向かう途中、マンション内にある階段のところで、降りてきた女の子とすれ違った。
 女の子は真っ直ぐに智恵子の部屋に走って行き、ノックをする。
 すぐにドアが開いた。
「ユカコちゃん、いらっしゃい」
「ほんとに今日はお部屋に入れてくれるの?」
「うん、今日から本は部屋で読んで上げれるよ」
「やった! お邪魔しま~す」
 女の子が部屋に入り、ドアが閉じられる。
 今から楽しいお話の世界に行くのか……きっとあの子にとって、あのドアはそんな夢に続いているんだろう。
 コインパーキングに足を向けながら、繕明は智恵子に読んでもらった絵本の内容を思い返していた。

小説『旅片人』 目次一覧

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