第11話 男やもめの革靴 土間の靴箱

 国道178号線で府中に入った。畑の目立つ町並みがひらけては阿蘇海がのぞく。海の上に天橋立が誇る深緑の松並木が伸びていた。
 繕明が景色を楽しんでいると、助手席に座る香奈が不満げな声を上げた。
「天橋立って言ったら普通はビューランドがある方でしょう? それなのに対岸側ってさぁ――」
「目的地がこっち側だから」
 いささか興がそがれたついでに、ふと隣に目をやる。見なければ良かったと後悔する結果となり、さらに興がそがれた。
 スーツ姿の繕明に対し、香奈は実に、本当に、まったくもってのカジュアルスタイルに身を包んでいる。膝に置いているトートバックには、携帯電話や財布の他に、お菓子や双眼鏡と言った遠足気分を放り込んでいるのを、行き掛けの準備中に見た。
 実際、ここに来るまでの道のりで、赤信号で止まる度にポテトチップやチョコレートをすすめられて食べている。なので、少し楽しみにしていた外での朝食は、パスタにとどまる始末。なのに、香奈も同じか繕明以上にお菓子を口に運んでいたのに、立ち寄ったカフェレストランでサラダとベーコンエッグ、コーンスープ、さらに小振りの一斤焼きパンという、ガッツリとした朝食にかぶりついていた――女の子のお腹はどうなってるんだ?
 つい、つきそうになった溜め息を飲み込む。
 確かに繕明にとっても、片づけという名目の旅行には違いない。でも、やはり人様の家にお邪魔するわけだから、それなりの緊張感を持って然るべきなのである。
 繕明にしてみれば、だからこそのスーツであり、革靴なのだ。
 そこにこんなレジャー感丸出しの女の子がいたんじゃあ、自分のシックな装いも、連れによって薄れてしまう。
「まあ、悪い気分ではないけど」
 繕明が呟き、香奈が訊き返す。
「ん、何か言った?」
「そろそろ着くよ」
 目的地である民宿の看板が遠目に見えた。
 赤信号に捕まって車を停めると、今度はマシュマロをすすめられた。

「ようこそお出で下さいました。当民宿の責任者の中須利彦(なかす としひこ)と申します」
 わざわざ出迎えてくれた民宿の主人は、法被(ぱっぴ)に着られていない恰幅の良さと福々しい顔付きが印象的だった。
「一応、部屋の用意をさせていただきましたので、休憩の時にお使い下さい」
 一緒に出迎えてくれた仲居さんらしい若い女性を手で差し、
「片づけをお頼みしたい所と部屋へのご案内は、この小木野がいたします」
 小木野と呼ばれた女性は深々と頭を垂れた。日本服を共に生まれてきたように着熟しているので、景色と相まって一枚絵に似た美しさがある。
「小木野沙恵(おきの さえ)と申します。本日はようこそお出で下さいました」
 民宿にしては随分と貫禄のある挨拶をされ、繕明も香奈も少し面食らった。
「いえいえ、こちらこそ中々足の伸ばせない観光地にお呼び頂いて感謝しています。宜しくお願いします」
 思わず飾った挨拶をしながら名刺を手渡す――。
 会釈をした時、何気なく見えた利彦の革靴に違和感を覚えた。
「じゃあ、後は頼みましたよ」
 利彦は沙恵の肩を軽く叩いてから、庭木の手入れをしている従業員の方に行った。何事か言いつけているようだ。
 歩くその靴を見ていて、繕明は違和感の原因が分かった。革靴の種類がちぐはぐなのだ。色こそ同じだが、片方は爪先のアッパー部がストレートチップなのに、もう片方はプレーントゥでなにもない。
 おかしな取り合わせだ。
 と思っていると、隣で呟く声がした。
「出っ張りかな?」
 繕明が振り向き、沙恵が何のことかという顔をする。
 注目された香奈は二人を余所に口を開いた。
「じゃあ、まずお部屋に案内してもらえますか?」
「はい、ご案内いたします」
 沙恵が柔らかな笑顔とともに歩き出し、二人して凜とした草履の足音に付いて行く。
 繕明は香奈を肘で小突き、小声で言った。
「こら、お金払ってるわけじゃないんだぞ」
「いいじゃん、旅費の代わりに今日はタダってことなんでしょ?」
「それはそうだけど、社交的な遠慮は見せるべきだろ」
「なにそれ、社会人の処世術? 低姿勢とってても結局は温泉に入るんでしょ。お為ごかしじゃん。向こうだって、そんなの気にしてないよ」
「あのなぁ――」
「揃江様」
 繕明と香奈がそろって顔を向けると、沙恵が玄関の三和土で見返り美人みたく微笑んでいた。
「そう構えずに、ゆっくりなさっていって下さい」
「あ、これは失礼を――あ、あの、恐縮です」
 きまりの悪さに繕明が吃っていると、
「ほらね」
 香奈が得意満面に笑った。

 部屋はこれと言って変哲もない民宿然とした畳の部屋だった。床の間があるでなし、折りたたみ式の卓袱台と座布団、押し入れの中には布団が一式押し込んであるのだろう。物のない下宿の部屋みたいで気分がいい。
「いい部屋ですね」
「こざっぱりとした部屋だね」
 率直な寸評を二人して言った。
「ありがとうございます」
 沙恵は会釈で返してから言葉を続けた。
「ところで、立ち入った質問なのですが――」
 どう言った質問だろうと思った二人は声を重ねた。
「「なんですか?」」
「お二人様は恋人同士なのですか?」
「はい?」
 一瞬質問の意味が飲み込めなかった繕明は腑抜けた声をあげ、
「いやいやいやいや――、そんなんじゃありません、親戚同士です」
 と、全力で否定した。隣では香奈が難しい顔をしている。
「ああ、そうだったんですか。すみません、お二人があまりにも仲が好さそうでしたので、それに最近は年の差カップルのお客様もよく来られますので」
「はあ、そうですか」
 顔に火照りを感じながら繕明はうなじを掻いた。この下世話なところは民宿らしいや……。
「それでは、どうなさいましょう? すぐに始められますか?」
「そうですね、早い方が良いでしょう」
 話が本筋に戻ったので、繕明も気持ちを切り替えた。荷物など持っていないから上着だけ脱いで準備する。にわかに滲んだ汗が初冬の空気の冷たさに吹き飛ばされて気持ちがいい。
 香奈もハンドバックを備え付けの金庫に入れて足早に戻ってくる。
「え、手伝うの?」
「うん、私だって片づけるの得意だもん」
「部屋の片づけとは違うよ」
「いいから、いいから」
 任せておけと言わんばかりに香奈が見得を切る。
「では、申分けありませんが。不肖なところをお任せしたいと思います」
 沙恵が歩き出し、繕明と香奈は後に続いた。
「お願いしたいのは靴箱なのですが。少々大きい物でして――」

「うん! このまま燃えるゴミに出しちゃおう!」
「おい――」
 滅多なことを口にした香奈も香奈だが、これを見れば仕方なく思える。
 案内されたのは玄関口に据え置かれている靴箱だった。上には野球のサインボールや、狛犬の置物、写真立てが並んでいて、飾り棚としても使われている。
 もともと客の靴を一括管理していたらしく、畳二枚分はあろうかという大きな靴箱は、引き違いの二枚戸を鍵穴ひとつで施錠していた。
 そして、今は使っていない。
 そりゃあそうだろう。開けた拍子にこぼれ落ちてくるほどに、革靴が乱雑に詰め込まれているのだから。色、デザイン、サイズ、どれをとっても全ての種類がここに揃っている。臭いの所為もあるだろうが、ここまで大量に革靴を見せられると、なんだか禍々しさすら感じられた。
「うちに来るお客様は、ご宿泊だけではなく、宴会や寄り合いの方もいらっしゃいます。それで、お酒を召した方が靴を履き間違えて帰ってしまったり、忘れて行ってしまったりとしている内にこのようになってしまったのです。もちろん、持ち主を探しはしました。ですが、遠方からお越しの方も多くて――」
「これはもう履けませんね」
 繕明は革靴のひとつをためつすがめつしながら言った。いくら本革といっても、ここまでパリパリに乾いてしまったら使い物にならない。
「全部処分しましょう。香奈ちゃん、出すの手伝って」
 取りあえず中身を取り出し始めると、沙恵が三和土に下りてきた。
「私もお手伝いします」
「いえ、女性の手をわずらわせるわけにはいきませんよ。ちょっと臭いもキツイですし――」
 そこで香奈が口を尖らせた。
「私も女なんですけど……」
「君は手伝いたいって買って出たんじゃないか」
 繕明は沙恵に向き直り、
「私達に任せて下さい」と、笑顔で言った。
 すると沙恵は真剣な面持ちになる。
「お願いします」
 真に迫った声音を聞かされた繕明は、
「じゃあ、一緒に、やりましょうか……」
 それ以外、何も言えなくなった。

 50足余りの革靴が土間に並び、まるで透明な軍隊が整列しているみたいだ。
 労働の汗を感じながら繕明は靴をゴミ袋に詰めてしまおうと思っていたのだが、沙恵が真剣な面持ちで一足ずつ揃えているのを見て言い出せずにいた。
「ああ、疲れたぁ。あとは中を掃除して終わりだね」
 息を吐いた香奈が靴箱に寄りかかった。
 途端に軽くなった靴箱がガタンと傾いた。
「あ!」
 慌てて香奈は靴箱を押えたが、写真立てが天板からこぼれ落ちた。三和土に落ちるすんでのところで繕明が受け止める。
「香奈ちゃん、気を付けなきゃ」
「ご、ごめん」
「お二人とも、お怪我は?」
 沙恵が心配そうな声で言う。
「ああ、大丈夫です」
 言いながら繕明は写真立てを元に戻した。何気なく写真に目が止まった。家族写真のようだ。写っているのはここの主人の利彦――この民宿の前で撮っていて法被を着ているが、若かった頃のもののようで現在の貫禄はない。それと、まだ見ていないが奥さんらしき女性と男の子の三人。その子は3、4才くらいで、丁度真ん中に立って両親と手をつないでいた。
 繕明の目は知らず利彦の靴に目が吸い寄せられた。
「あれ? 靴が揃ってる」
 突然の声に驚いて目を向けると、香奈が覗き込んできていた。「ふんふん」と2回うなづいて何か考え込んだ後、ぱっと音がしそうなほど顔を明るくした。
「じゃあ、掃除しよっか?」
 香奈が沙恵に呼び掛ける。
「沙恵さん、ほうきとチリ取りありますか?」
 沙恵は何か探しているみたいで聞こえていないようだった。香奈が近寄って行って隣に屈み込んだ。
「沙恵さん?」
「あっ! はい、なんでしょう?」
「ほうきとチリ取りを――」
「はい、ただいま」
 パタパタと駆けだした沙恵は玄関から出て行った。
 その様子を香奈は「ふんふん」とうなづきながら見送った。

 ほうきで長年溜まった埃を靴箱から掻き出している途中、繕明は妙な物を見付けた。
「なんだこれ?」
 それはまさに出っ張りであり、奥の天板の裏に紙製の箱がガムテープで貼り付けてあった。無理矢理に引っ張る。バリッと大きな音を立てて取れた。
 明るい所で見てみると、靴を包装する紙箱だ。
 思わず開けてみた。よく手入れされた革靴の片方と、小さなメモが入っている。

 〝利彦 あなたが見付けたのなら会いに来て良い でも ちがう人が見付けたのなら 
  私達は本当に終わりです〟

 見てはいけない物を見た気がした……。
 冷や汗を感じた繕明がどうしたらいいのか判断つかないでいると、香奈がひったくるようにして箱を沙恵の元に持って行った。
 戻ってからもずっと顔色を変えない沙恵に、香奈は訳知り顔で箱を差し出した。
「沙恵さん、これじゃない?」
「あっ!」
 まさにというように眉を開いた沙恵は、箱を受け取るといっさんに駆けだした。香奈もその後に続く。
「ヨシ兄行くよ!」
「え? お、おい――」
 繕明もつられて早足に追いかける。
 玄関を出て宿の裏手に回る。勝手口から厨房がのぞける裏庭に辿り着くと、そこで利彦と沙恵が向かい合っていた。
「中須さん、これ――」
 沙恵が利彦に箱の中身を向けた。
 しばらくして、利彦は口を開いた。
「小木野、ひょっとして今日はこのために」
「はい、申し訳ありません。きっとあると思ったんです」
 沙恵の縋るような声に利彦は短く答える。
「もういい」
「でも――」
「もういいんだ!」
 それきり背中を向けると、利彦は勝手口をくぐって戸を閉めた。
 沙恵がうつむいてしまったので、繕明は一瞬泣いているのではないかと心配した。
 しかし、案に相違して沙恵はすっきりした顔でこちらに歩いて来た。
「こちらも処分しましょう」
「……いいんですか?」
 これは明らかに復縁のメッセージだろう。利彦と奥さんは別れる際に、何かしらの賭けをやっていたに違いない。確かに但し書きにはあるが、そこを正直に言うこともないじゃないか。気掛かりや心残りがあるからこそ、あの靴を履き続けているんだろうし、何より息子さんにも会えるのだから――。
 繕明が思い悩んでいると、香奈が割って入って来た。
「ヨシ兄、いいんだよ」
「なんで香奈ちゃんが決めるんだよ」
「私が決めるんじゃない。もう決まったの。ねっ、沙恵さん?」
 訳の分からない言い回しに繕明は混乱した。「はい」と返事をする沙恵の暖かな微笑みを見てさらに混乱は激しくなった。     

 その後、香奈が急に帰ろうと言いだした。何故を訊ねても答えてくれず、結局楽しみにしていた温泉も入らずじまい、報酬は流れてしまった。ほんの数時間で色んな汗をかいた身体が気持ち悪い。
 繕明が神経質に肩を撫でていると、助手席で大きく伸びをしながら香奈が言った。
「ここからは沙恵さんの頑張り次第だね」
「何の話だよ?」
「沙恵さんは利彦さんのことが好きだから、あれを探してたんだよ」
 突飛なことを聞かされた繕明は、危うく運転ミスをやらかすところだった。次にどんな言葉が出てくるか分からない。不安になったので道の端に車を停める。
「ちょっと待ちなよ。あの二人の年の差って10や20じゃないだろ絶対」
「そんなの関係ないの」
「仮にそうだったとしても、復縁を後押しするなんておかしいじゃないか」
「これだから男は――」
 繕明の意見を、はっと鼻ではねのけた香奈は大袈裟に肩を竦ませる。
「いい、好きな人だからこそ幸せになって欲しいの。復縁に希望が持てるなら、沙恵さんは全力で利彦さんを後押しする気だった。でも、利彦さんは「もういい」ってはっきり言った。だから沙恵さんにも脈が出来たってこと」
「えぇ~?」
 繕明は唸りながら額を小突いた。
 言われてみれば、箱を見せられた時の利彦の口振りからして、今日の片づけは沙恵が言い出したと見て間違いないだろう。靴を探していたあの真剣な面持ちといい。見付かった時の顔色の変化といい。
「そう……、なるのかな?」
 いまいち着地点に納得がいかない。
 しかし、香奈は言い切る。
「そうだよ、絶対そう」
「なんでさ? なんでさっきから、そう断定的なの?」
「だって――」
 香奈が言い澱んだ。
「だって?」
「ヨシ兄と私を見てさ、恋人同士だなんて普通は連想しないよ」
 はにかんだ香奈の頬は紅くなっていた。
 くすぐったい気分になった繕明はうなじを掻いたあと、車を発進させた。
「飯食って帰ろう。何が食いたい?」
「じゃあ、天橋立名物あさり丼!」
「はいはい」
 不思議な心地良さに胸を和ませつつ、繕明は天橋立公園に車を走らせた。

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この記事を書いた人

付焼刃俄
付焼刃俄 公式HP
ライター兼作家【活動エリア】大阪府 T市
小説家を目指してただいま修行中。
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