第23話 大事の前の小事 どのようにお切りしましょう?

 京都市街西部を南北に走る道路、七(しち)本(ほん)松(まつ)通(どお)り。大(だい)報(ほう)恩(おん)寺(じ)をはじめ周辺には寺院の多く、全長約6.4kmで平安京の皇(こう)嘉(か)門(もん)大(おお)路(じ)にあたる。ATOKの簡易辞書機能付き漢字変換をすればそんな情報が引き出されるこの路も、現在では区画整理された住宅街に編み込まれた一方通行の車道である――もちろん自転車は除く。
 揃江繕明は、この路が気に入っている。
 所々に洒落た新築住居が建ち、旧故の家々を見下ろしているこの路を慕っている。その中には古馴染みのつながりがだけで経営が成り立っていそうな電気店や喫茶店などの個人営業のお店が、若白髪みたいに散見されるこの路が実に好ましい。
 繕明はこの路に並ぶ個人商店のほとんどに入ったことがあった。
 一人酒をしたくて入った焼き肉店。急に入り用になった乾電池を買いに飛び込んだ電気店。季節の風情ある「冷やしぜんざい」が気になって食べ寄った喫茶店。夕食のおかずでよくお世話になった鮮魚食料品店のお総菜。
 鼻から息を吸い込むと、2月の冷たい空気と共に数々の思い出が香ってきた。
 ほんのひと月前まで住んでいた場所だ。思えば、大阪の実家を出てからずっとここにいた。この辺りの店の人とは気軽に井戸端会議をする仲だ。
 もちろん今暮らしているところでも、いくつかの店とはもう顔見知りである。
 平日の昼間とあって路は閑散としているが、みんな店の切り盛りに忙しいらしい。ガラスドアや窓越しに見えた顔馴染みへ会釈をして歩いていると自然に笑顔がこぼれてくる。
 ふと、喫茶店『Zippo』の女将さんが店を出てきた。タートルネックのセーターにカフェオレ色のエプロンがよく似合う恰幅の良い女性だ。
 猫のように目を細めてぱたぱたと駆け寄られる。
「ヨッちゃん、来てくれたの?」
「はい、あとで珈琲を飲み行こうと思います」
「あとで?」
「ええ」
 繕明は前髪を撫でてみせた。
 女将さんは訳知り顔になる。
「ああ、翔さんとこ?」
「はい、ビシッとしてもらおうと思って」
「ビシッと……ふ~ん、じゃあ男前になってから聞かせてもらおうかな」
 すると、その訳知り顔のまま気を回した声色で言った。
「披露宴の日取りとか――」
「そんなんじゃないですよ」
 やんわりとした会話が終わり、繕明は再び歩き始めた。
 1分もしないうちに目当ての店が見えてくる。
 理髪室『翔』
 白いモルタルの壁に赤い文字看板がある種の美意識を醸している。繕明が店の前まで来ると、板チョコみたいなデザインで色もそれに倣ったダークブラウンの木製ドアが独りでに開いた。
「時間通りですねぇ」
 半袖の白衣と黒のスラックスに身を包んだ桑年越えの店主が顔を出す。ごま塩頭の御仁は好好爺な笑顔を湛えている。その胸元には、まるでブローチのように理髪用の細い櫛をさしている
「わざわざ予約なんてしなくても、うちの椅子は空いてますよ」
 繕明は笑い返して軽く頭を下げたあと、繕明はセピア色の店内に迎え入れられた。
 小気味の好いジャズピアノの旋律がやや擦れた音で流れている。馬油やヘアトニックの整髪料、シェービングクリームがブレンドされた独特の芳香に肺が満たされた。
「どうぞ」
 大面積の鏡と向かい合うには絶好のポジションに据えられた理容椅子に促された。
 腰を下ろし、その座り心地の良さに繕明が浸っていると、
「どのようにお切りしましょう?」
 店主が得意気に櫛を引き抜いてみせた。
 その答えを口にする時、いつも奇妙な満足感を味わうのはどうしてだろう。
 繕明がカットの注文を付ける際――。
 眉毛と耳を出して、後ろ髪は刈り上げ気味、あとは全体の長さを揃えて……云々。
 長々と説明しなければならない。
 髪型は大事だ。おそらく、人から一番最初に観られる部位だろう。長かろうが短かろうが、整っていなければどんな顔形をしていても軽蔑される。
 学生時代はバリカンで済ませていたが、髪が伸びることも考慮して、自分の身の丈に合った無難さでもって髪型を整えたいのならプロに任せた方が良い。
 繕明にとって髪型を整える長い講説は理容店に行った時の通例であった。
 それがこの店ならば、
「いつもの」
 この一言で済んでしまう。
「かしこまりました」
 店主の心良い返事が響いた。
 すぐに櫛が指揮棒のように振られだし、店主の指先で鋏が楽しそうに歌い始めた。

 一時間後。
 繕明は喫茶店『Zippo』のカウンターで。カップから立ちのぼる湯気に鼻をなでられていた。コーヒーミルで挽いた豆で淹れる珈琲は格別の香りがする。
 カウンターに肘をついた女将さんが、コーヒーと一緒に振る舞ってくれた手作りのクッキーをつまみながら言った。
「香奈ちゃんの合格発表ねぇ」
「ええ、今日の夕方4時からなんですよ」
「確かに、応援してくれる人が一人でもそばにいてくれたら心強いわね。あれって心臓に悪いもの」
「そうでしょう? だから、今日は皆で一緒に見に行こうってことで、これから東京までひとっ走りです」
 話を聞いて楽しそうに頷いていた女将さんが、急に眉を曇らせた。
「――あれ? でも、最近の発表って――」
 その時、繕明の携帯電話が着信音を響かせた。
 モニターを見て、香奈からだと分かった繕明は迷わず通話ボタンを押す。
「もしもし」
「あ、ヨシ兄……」
 声色が明らかに重い。にわかに胸がざわついた。
「どうした?」
「あ、いや、別に真剣な話とかじゃないんだけど。あの時は焦ってたし、この間はボケてたし……。私も今日になってようやく思い出して――」
「なにがあったんだ?」
 数秒唸ったあと、香奈は申し訳なさそうに打ち明けた。
「合格発表なんだけどね。ネットのホームページで発表されるんだ」
 瞬間、時が止まった気がした。わざわざ髪型まで気にした自分がどうしようもない間抜けに思えてくる。
 そうだった。情報化が進んでいるこの社会で、合格者発表のために労力を使って特設掲示板を用意するなんていつ迄もやっている訳がないじゃないか。
 でも、香奈の姉である愛奈も呼んでしまっているし、
「まあ――、とにかく行くよ」
「あ、そう? うん、分かった――。なんか、ごめんね」
 会話が終わり、電話を切る。
 どうにも決まりが悪い。
 繕明が頭を掻いていると、女将さんに微妙な笑顔を向けられた。
「まあ――、とにかく行ってきます」
 そう言って、繕明はカップを空にした。

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付焼刃俄
付焼刃俄 公式HP
ライター兼作家【活動エリア】大阪府 T市
小説家を目指してただいま修行中。
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