「これは、また随分と出っ張ったもんだ」
 揃江繕明(そろえ よしあき)はそう呟くと、従姉妹の木本香奈(こもと かな)が顔を赤らめて頬をふくらませた。何かを勘違いしている様子なので、「部屋のことだよ」と、訂正しておく。
 顎をしゃくったドアの向こう。そこが香奈の部屋なのだが。シェイカーの中身とでも例えられようか。しっちゃかめっちゃかのぐっちゃぐちゃだ。
 足元に散らばった本や雑誌類から始まり。コスメアイテム、ハンドバッグ、ペットボトル、紅茶の缶、空いた袋菓子、ウェットティッシュ、何故かトイレットペーパーの芯。そして大量の洋服。下着が落ちていないことのがせめてもの救いだった。
 息がつまりそうになり、繕明は思わずネクタイを緩めた。
「この部屋で着替えたの?」
「私の部屋だもん」
 藍色のボーダーシャツとジーンズ姿の香奈は、そう言いながらベッドの上に放り出してある制服のブレザーにちらりと目をやった。
「それじゃ、始めるかな」
 部屋に入ろうとした繕明を香奈が呼び止める。
「それ持ったまま?」
 人差し指を手元に向けられて、ようやく持ったままになっていた引き出物の紙袋に気がついた。重さからして多分、皿とかの陶器だろう。まあ、あとで開ければ分かる。
 紙袋をドア脇に置いた繕明は香奈の部屋に入った。
「これ、使っていいかい?」
 横倒しにされていたゴミ箱を持ち上げて見せる。使っていないのだろう、ゴミ箱は売られているのと何ら変わりなかく綺麗なものだった。
 香奈がうなづいたので、足先に落ちていた口紅をゴミ箱にそっと入れた。
「えっ!? ちょっと!」
 香奈が慌てて部屋に飛び込んできた。ゴミ箱の底に立てて置いてある口紅を取り上げる。
「捨てないでよ! これ新色なんだから!」
 足の踏み場に置いてたくせに……。
「捨てたんじゃない。お片づけの第一歩なの。まず、この場所で自由に動けるようにしなきゃ」
 そう、散らかった物を一カ所に集めて、部屋の理想形を目に見えるようにする。
 それが、整理整頓のスタート地点だ。
 あとは集めた物を一つずつあるべき場所に収めていけばいい。だから、取りあえず散らかした物を集めていく。いつもは段ボール箱を持ってくるのだが。今日は臨時で、おまけに親類の相談ということだから報酬も出ない。さしあたり、綺麗ならゴミ箱でも使おうというわけだ。
 噛んでふくめるように言ってやると、香奈は渋々段ボール箱を持ってきた。
 二人で部屋中に散らばった小物をその中に入れていき、洋服はさっさとクローゼットへ戻す。ゴミをまとめて、いらなくなった雑誌類は束ねて縛ってリサイクルだ。
 30分も経った頃、部屋は落ち着いた雰囲気を漂わせていた。勉強机に並んでいる参考書がそれに一役買っている。
「さあ、あとは集めた小物で部屋を飾っちゃえば終わりだ」
 適当に相談しあって、化粧品やバッグを部屋に収めていると、香奈の手が止まりがちになりだした。
「あ、これ、去年お姉ちゃんと伊豆旅行に行った時のやつだ」
 香奈の手には、踊り子姿で赤いリボンをつけた猫のキャラクターをぶらさげた携帯ストラップがあった。
 香奈が何も言わなくなる。思い出にひたっているらしい。
「で? それはどうするの?」
 繕明の声にはっとした香奈は、少し考えたあとにストラップを段ボールに戻した。
 単行本を本棚に収めて、「そろそろ終わりだ」と、繕明が肩を回して振り返ると——。
 香奈が部屋からいなくなっていた。
 繕明は迷わず廊下に出て、隣の部屋を見やった。ドアが開いている。
 覗き込むと、香奈が部屋の真ん中に座っているのが見えた。
「これは、また随分とまっ平らになったもんだ」
 香奈の部屋にあるのと同じ机とベッドが据え置かれていて、少なからず小物も残っているが……それだけだった。
「昔はお姉ちゃんのほうが、部屋の掃除できなかったんだよ」
 香奈がぽつんと言った。
「知ってるよ。いつ来ても散らかってた。反対に、香奈ちゃんの部屋はいつも片づいてた」
 繕明は香奈の隣に歩を進める。
「あんないい加減なお姉ちゃんだったのに、こんなにあっさり結婚しちゃうなんて思わなかった」
 と、呆れたように息をついてみせ、
「ヨシ兄、これどうしたらいいかな?」
 香奈が手で包んでいた紅茶の缶の蓋を開けた。
 先ほどのストラップがあった。それに何かのメモ、テーマパークのチケットなどが詰まっている。きっと、香奈にとって思い入れのある品々なのだ。香奈とお姉さんの……。
「大検が終わるまでここに置いとけばいいんじゃないか? 部屋にそれ置いとくと、また散らかしちゃうかもしれないし」
「……そうだね」

「本当に食べていかないの? お寿司もとってあるのよ」
 繕明は玄関先で香奈の母親に呼び止められた。居間からは、香奈の父親と親戚らの和気藹々とした声がもれ聞こえてくる。
「明後日には会社がありますから——」
 そこで繕明は「あっ」とポケットをまさぐった。
「よかったら、またこれ配っておいてもらえませんか?」
 取り出したのは名刺束だった。

 [ 旅先片づけ請負人 揃江 繕明 ]

 香奈の母親はそれをこころよく受け取る。
「まかしといて」
「では、今日はこれで失礼します」
「うん、わざわざ京都から来てくれてありがとうね」
 繕明は会釈して玄関の引き戸を開けた。
「ヨシ兄」
 背中に投げかけられた声に振り向くと、香奈が手を振っている。
「またね」
 香奈の様子を見て微笑んだ母親が、すすすっとおもむろに顔を近づけてきた。
「あの子、大分落ち着いたみたいなの。ありがとうね」
 二人にはにかんだ笑顔を向けられて、何だかくすぐったい気分になった繕明は、うなじを掻いたあともう一度会釈して木元宅を辞去した。
 近くのコインパーキングに停めておいた車に乗り込み、国道に向けて走り出す。
「伊豆かぁ、今度は温泉街とか行ってみたいなぁ」
 
 揃江繕明は普通の会社員である。彼は有給休暇を提出する時、行使理由欄にはいつも『知人の手伝いがため』と書いている——が、その実は趣味でやっている片付けの技術を、片付けのできない依頼人に手解きするためだった。報酬は、移動中にかかった旅費の半分である。
 旅の途中で配り続けている名刺は、日本のどこまで拡がり続けるのだろう? それも楽しみの一つだったりする。

 午後8時まで走り続けたところで、繕明はビジネスホテルに入った。
 フロントでスーツの肩を気にしている新人らしい青年に繕明は訊いた。
「ポットにお湯を沸して持ってきてくれないかな」
「給湯室のでよければ。それと、すぐ返してくれます?」
「うん、一杯分だけでいいよ」
 そう言い残して、ドアキーのプレートに刻印された番号の部屋に向かった。
 フロントでああ言ったのは、ある予感があったからだ。
 部屋に入り、手に提げいた引き出物の紙袋を、備え付けの簡易テーブルに置く。中身を取り出し、包装紙を剥がした。
 繕明は口元を綻ばせる。
 ……やっぱりだ。
 箱には爽やかな写真と、その上に綺麗な筆記体で『cup and saucer』とあった。
 手荷物を片づけてからフロントに戻る。
「ポットはここで受け取るよ」
 青年が了解するのを見届けてから、繕明は紅茶を求めて街へと歩き出した。

小説『旅片人』 目次一覧

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