今日も今日とてデスクにかじりついてモニターに向かっていると、携帯電話が震えだした。振動のパターンがメールだと告げている。
繕明はここまでの作業をバックアップして、修正確認の処理に掛けた。
PCがカリカリと頭をこねくり回している間に、ポケットから電話を引き抜いてメールを開く。
差出人は香奈だった。
[件名] やっほー
[本文] 今息抜きで京都に来てまーす ヽ(≧∀≦)ノ─♪
適当に京都見物してるから、仕事が終わったらメールちょうだい (´ノ∀`)ノ
今日と明日はヨシ兄の部屋に泊まるから、どっかで待ち合わせね! (^^)/ヨロシク
……え?
『ブンッ』とマイナーコードなエラー音を上げたパソコンが、まだバグが残っていると文句を言ってきた。
「おそぉ~い!」
久し振りに顔を合わせた従姉妹の開口一番がこれだった。確かに迎えに行った時には午後10時を大きく回っていたが――。
「前もって連絡しなかった君だって悪い……」
ハンドルを握りながら繕明は文句を言った。
でも助手席に座る香奈は意に介さない口調で続ける。
「まったく、清水寺だけでも何回見たことか。金閣寺も銀閣寺も平安神宮の大鳥居ももう見飽きちゃったよ」
その後も延々と生八つ橋がどうの、目立ったスイーツが抹茶しかないだの、京都の感想を聞かされた。しばらくはふと思い立って京都の待ちで食べ歩きしたり、仏閣に詣ろうなどという高尚な気持ちにはなれそうにない。
自宅マンションに到着し、ドアの前まで来たところで繕明は前置きした。
「言っておくけど、何もない部屋だよ」
「男の一人暮しでそれはないでしょう」
ニヤニヤと意味深にえくぼを凹ませる香奈にドアを開けてやる。
「見れば分かる」
浮き立った足取りで部屋に上がった香奈は、電灯を点けてやるとその場で目を丸くした。
そして素っ頓狂な声を上げる。
「は?」
「なんだよ?」
「い、いや――だって――」
言いながら香奈は部屋のあちこちを指さした。
「ほんとに、なんにもないじゃん!」
そう、あると言えば必要最低限の電化製品一式と申分け低度の一人掛けソファー、15インチの液晶テレビ、畳まれた敷き布団くらいしかない。繕明は常に持ち歩けるノート型パソコンが好きなので、デスクトップは邪魔に思えて仕方がなかった。
つまり、モデルルームより味気ない飾り付けだった。
そんな中、香奈の細い指先は壁や床をさすばかりで、むしろ目標を探して迷っていると言えた。
「この部屋テーブルもないけど、ごはんはどこで食べてるの?」
「ほとんど外食かな。家で食べる時はキッチンのカウンター」
繕明はシステムキッチンのカウンターに立て掛けてあるパイプ椅子を指さした。
「なんか、読んでる雑誌とか集めてる本とか――」
「本なんか図書館でいくらでも読めるよ。新聞も雑誌も最新号が置いてあるし」
「……テレビゲームとかは?」
「しない」
それから数秒おいて香奈が言った。
「つまんない部屋!」
「俺の持論では、心が安定してる人の部屋なんだけど」
「何それ? どういうこと?」
繕明はネクタイを緩めた。
「生きるのに必要以上の物を欲しがる人っていうのは、自分で心を安定させれないから別の何かに寄りかかっているんだよ。
あれも欲しい、これも欲しい、それもしたい、これもしたいってなると、心が色んな物に手を伸ばして出っ張っちゃうんだ。
そんな心の出っ張りが、部屋に現れ出てしまうんだよ」
言い終わって数秒後に、
「ふ~ん」
と、香奈は気のない返事をして、もう一度部屋を見回した。
「じゃあ、ヨシ兄の部屋は平らなんだ」
「まあ、そう思ってる」
香奈はソファーに腰を下ろした。荷物を足元に置いて大きく伸びをする。
「な~んだ、もっと面白いと思ってたのに。つま~んな~い」
「ああ、そうかい」
繕明は呆れ声で言った。
「それで、私はどこで寝ればいいの?」
「そのソファーがベッドになる。後で掛け布団を出すよ」
ふんふんと二回うなづいた香奈は部屋を歩き始めた。液晶テレビの電源を入れて適当にザッピングする。
「ところで、随分残業だったんだね。仕事、忙しいんだ」
「明日は有休取ってるから、その分の調整やってた。おまけに修正箇所が多かったもんでこの時間だ」
「有休? じゃあ明日は休みなんだ。どっか連れてってよ」
香奈は急に声を弾ませて振り向いた。
しかし、繕明の有休と言えば理由は決まっている。
「無理。予定がある」
「なんの?」
「お片づけしに行くの」
「どこに?」
「天橋立」
「三景の?」
「そう」
「温泉地だよね?」
「そうなんだ、だから日帰り旅行気分で行って来ようかなって――」
あ――。
と思った時には遅かった。
恐る恐る見ると、香奈がニッコリと屈託なく笑っている。
「じゃあ、連れてって!」
断ろうかと思ったが、その笑顔はあまりにも眩しい。
「俺の言うことちゃんと聞くならいいよ」
繕明は苦し紛れにそう言った。
「了解!」
香奈は楽しそうに快諾する。途端に盛大な音が部屋に響いた。
「お腹空いた! どっか食べに行こ!」
「はいはい」
繕明はなかばやけくそになって返事をした。
「その前にシャワーだけ浴びさせてくれ」
浴室で熱い湯を顔に浴びながら繕明は独り言ちた。
「まったく、おじさんもおばさんもなに考えてるんだ。俺だって男だぞ、年頃の娘だってのに心配じゃないのか」
しかし、それを香奈に訊いたところで、
「ヨシ兄にそんな度胸ないって」
と笑われるのは目に見えている。
深く長い溜め息を吐き、もう一度スーツに袖を通して脱衣所を出た。
ドアを開けると、香奈が備え付けの小物入れを開けていた。
「お、出っ張り発見!」
中の物を引っ張り出して、これ見よがしに振ってみせてくる。と同時に悪戯小僧のような顔で白い歯を見せてきた。
「やっぱり、こういうのは持ってるんだね」
繕明はうなじをポリポリと掻き、
「すぐに戻しなさい」
「は~い」
香奈は素直に手に持った成年誌を戻した。