出先での打ち合わせが随分と押してしまった。遅めの昼食をと思ったら突然の雨。
 逃げ込むように入ったファミレスでドリンクバーと適当なパスタを注文した揃江繕明(そろえ よしあき)は一息吐いた。
 と同時にマナーモードにしておいた携帯電話が震えだした。振動が音声着信だと告げている。
 打ち合わせ直後のことだ。なにか不手際でもあったかなと、やや緊張しつつ番号を確認したが、知らない番号だった。
 間違い電話かと思ったが、まだなり続けているので繕明は通話ボタンを押した。
「もしもし」
 呼び掛けても相手は無言だった。
「もしもし?」
 二回目の呼び掛けの声はおのずと低い声になってしまう。
 そして受話口から聞こえてきた声は、
「あ……あの」
 拍子抜けするほど幼い声だった。
「まだカンジはよめないんですけど、おかたづけのおじさんですか?」
「はい――そうですけど」
 この年頃では性質的に言って男の子か女の子かの区別が付かなかったが、イントネーションからするとどうやら男の子らしい。
「なにか困ったことがあったんですか?」
「お母さんのお弁当がおいしくないんです」
「え?」
 よく意味が分からなかった。お母さんのお弁当が不味いからって、それは他人がどうこうできるわけがない。
「どういうこと?」
「お弁当がメチャメチャなんです」
 ……どういうこと?
 そう訊くぐらいしか出来ない。
 どうにも要領を得ない会話の末。
 男の子はお弁当を写メールで送ると言って電話を切った――最近の子供は漢字よりも先に携帯電話の操作を覚えるようだ。
 手が空いたので、ドリンクバーに珈琲を取りに行く。
 自己主張を前面に押し出した、子供らしい話し方の中で分かったことを要約するとこうだ。
 ・男の子は幼稚園に通う年少組。
 ・最近、毎日食べているお弁当に疑問を持ち始めた。
 ・お友達のお弁当は綺麗で美味しそうなのに、自分のは食べる気が起きないほどメチャメチャ。
 ・でも食べないわけにはいかない。
 ・食べた後だと、仕事で朝が早いお父さんにお弁当を見せることも出来ないので、お母さんを叱ってもらえない。
 ・隣に住んでいる仲の良いお婆ちゃんに相談したところ、繕明のことを教えてもらい、携帯を貸してくれた。
 そして――。
 ・どうしたらいいですか?
「おじさんにも分かりません」
 注ぎたての珈琲の湯気に鼻先を撫でられながら、思わずそう呟いた――隣の席から白い目で見られる。
 誤魔化そうとして視線を遠目にそらすと、注文していたパスタを店員が運んでくるのが見えた。
 と同時にメールが届いた。
 メールを開いて、写真を受信する――。
「うわ、これはひどい」
「え?」
 繕明が顔を上げると、パスタをテーブルに置いた女性店員が怯えた顔をしていた。
「お客様、こちらのご注文ではなかったですか?」
「ああ、いえいえ、こっちの話です」
 勘違いした彼女に平謝りした後、繕明はもう一度その写真を凝視した。
 まず、とんでもない寄り弁だ。それに、ばらんや紙形を使った間仕切りが一切されていない。ごはんはおにぎりなのかなんなのかよく分からない別の形になってしまっている。ミートボールが隣のポテトサラダにほぼ陥没してるし、プチトマトはエビフライのタルタルソースにまみれてほとんど白くなっていた。
 まるでシェイカーの中身か、パレットの上の絵の具を全部混ぜ合わせたと言った印象だ。
 普段、それほど関心を持って弁当など見ないが。こうして一枚絵にされると市販の物がどれだけ整っているかが一目瞭然だった。
「そうか、だったら――」
 また携帯電話が震えた。すぐに通話ボタンを押す。
「ね? メチャメチャだよね?」
「そうだね、メチャメチャだね」
「どうすればいいですか?」
「うん、ちょっと思いついたんだけどね――」

 それから一週間後、休日のお昼どき。
 近くの公園を散歩していた繕明の携帯電話に一通のメールが送られてきた。お察しの通り写メである。
 写真を受信してみると――。
 とても美味しそうなお弁当が写っていた。
 ごはんにはたまごのふりかけ。ミートボールは紙形の中で仲好く三つ並んでいる。ばらんで区切られた所には、くし形切りのプチトマトがあたかも花弁のようにポテトサラダを飾る。その傍らに定番のタコさんウィンナーが鎮座ましましていた。
 ほどなく携帯電話が震えだす。
「もしもし」
「もしもし、おかたずけのおじさんですか!」
「はい、そうです」
「ありがとう! おじさんのいったとおりにしたら、お母さんちゃんとお弁当作ってくれるようになった!」
 それから、何度もお礼を言われ、友達が自分のお弁当をうらやましがっていることや、お弁当の時間がとても楽しみになったことなどを一方的に話してきた。
 繕明が男の子に提案したことは、

 〝君のお弁当と友達のお弁当を写真に撮って、お母さんに見せてごらん〟

 たったこれだけだった。
 しかし、これで、男の子のお母さんも客観的に手製の弁当を見たのだろう。世間体もあれば、見栄もあるだろうし、なにより女親としての意地に火がついたに違いない。
 繕明は電話を切る前にこう言った。
「じゃあ、美味しいお弁当を作ってくれるお母さんに、ちゃんと美味しかったって言ってあげないとね。そうしたら、お母さんもお弁当を作るのが楽しくなるはずだよ」
 元気の良い「うん!」という返事が受話口から飛び出てきた。
 通話を切って、散歩を再開する。
 いつものようにファミレスで昼食にしようと出てきたが、
「今日はお弁当にしよう」
 そう独り言を言った繕明は、手作りのお弁当屋さんを探そうと、近くの商店街へ足を向けた。

小説『旅片人』 目次一覧

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