十三バイパスの新十三大橋から、梅田の夜景を眺めながら揃江繕明はハンドルを握っていた。
『緊急の用件なのですが――』
 冬期連休も最終日を数えたところの夕刻に、こんな電話が掛かってきたのだ。
 繕明はよっぽど断ろうと思ったのだが――。

『どうしても! お願いします!!』
 と、受話口からでも分かる立礼をされたんじゃあ、断るのなんて忍びない。
 だからと言って、これから現場に行ったのでは状況確認するだけで動けなくなるかも知れない――そろそろ、片付けに必要な物が手に入るホームセンターなどの店が閉る時間だ。
 そこで、繕明は救急通報と同じ対応をすることにした。
「まず落ち着いて下さい。あなた、お名前は?」
 すると、大きな深呼吸が電話の向こうで聞こえた。相手がさっきとは打って変わって調子の整った声で言う。
『わたくし、麻美秀典(あさみ ひでのり)と申します。取り乱していたとは言え、挨拶をおろそかにしてしまって申し訳ありませんでした』
「麻美さんですね。どんな状況ですか?」
『実は……、妻のクローゼットを壊してしまったんです』
 秀典がそこから言葉を続けてくれず、繕明は当然の質問をした。
「どういうことです? もっと詳しく――」
『ああっ! すいません、正確にはクローゼットの中にあるパイプを折ってしまったんです』
「は?」
 あんな物、そうそう壊れるもんではないだろうに……。
「ぶら下がりでもしたんですか?」
『まさか、そんなことしませんよ』
「じゃあ、なぜ?」
『妻が散らかしてたコートや上着を片付けてたんですが、それらをハンガーパイプに掛けていた途中でボキンッと……』
 と……。と、言われても、そんな物の修繕は工務店のお仕事だ。
 繕明は自分の能力と照らし合わせてみて、正直に手に余ることを秀典に伝えた。
『いえ、違います。修繕して頂けるのであれば願ったり叶ったりですが、さしあたり見苦しくないように整理をして欲しいんです』
「整理と言われましても……、その、量は?」
『4、50着ていどでしょうか』
 低度じゃないだろう。
「では、クローゼットの広さは?」
『2畳半です』
「高さは?」
『2メートル50くらいで……。まあ、天上と同じです』
「分かりました。報酬とは別に5千円ほど用意してもらえればなんとか出来ます。どうします?」
『お願いします!!』
 また立礼する様子が聞こえてきたあと、繕明は秀典の住所をメモして部屋を出た。
 そして、近くにある百円ショップで必要な資材を買い込んだ。300円の大型突っ張り棒10本、滑り止めシリコンシート2枚、適当な大きさのネジフック5ケース、裁ちバサミ1本――合計は税込みで4104円だった。

 繕明は近づいてくる梅田の夜景を眺めながら呟いた。
「900円にとどかないくらいのお小遣いもらっても、バチは当たらないだろう」

 鉛筆を立てたようなマンションの高層階に住んでいた秀典は、銀行勤めで毎日外回りをしていると言った。意識しなくても目がいってしまう黒縁眼鏡と禿げ散らかした頭に、繕明はその職業の壮絶さを見た気がした。
 おまけに、奥さんには頭が上がらないらしい。〝緊急の用件〟と銘打っていたが、どうやら奥さんに癇癪を起こされないようにするための非難行動みたいだ。
 それよりなにより、繕明の目を瞠らせたのはクローゼットの惨状だった。
 人が2人くらい潜り込んでいるのではないかと疑いたくなる服の山。種類、デザイン、色、その全てが揃っているであろうコートやジャケットなどの上着が折り重なり、その上に真ん中から折れたハンガーパイプが突き刺さっている。さながらVサインのような見た目になっているのが皮肉にすら思えた。
「まぁ……、こんな感じでして」
「これはまた……」
「どうにか出来ますか? あと1時間ほどで家内が帰って来てしまうんです」
 秀典に責っ付かれて、繕明は肩を回した。
「やりましょう」
 繕明は秀典に塊になっている服を一枚ずつ分けておくように指示して、簡易ハンガーラックの制作に取りかかった。
 まず突っ張り棒を適当に伸ばした。そして、回し出した棒の一直線上の5点にドリルで穴を開ける。開けた穴にネジフックを付けてハンガーを掛けれるようにした。ハンガーラックは、パイプの横向きに荷重がかかるので折れることもあるだろう。だが、これならパイプの縦向きに荷重をかけることができる。通常、突っ張り棒に表記されている耐荷重は、棒の横から掛かる数値が表記されているので、縦向きの耐荷重は未知数だ。でも、横に折れるパイプは聞いたことはあるが、縦に折れるパイプは聞かない。さらに、これなら広さだけでなく、高さの空間も有効利用できる。なので、座布団一枚ほどの広さに、軽く10着は掛けられる。
 大型突っ張り棒に対して服5着では役不足もいいところだろうが、今回は重さに耐えきれなかったということで、この形をとることにしたのだ。実際、繕明は以前このやり方で10kg以上の服を掛けていた経験があり、その突っ張り棒は数年経った今も健在である――まあ、今は掛ける服も減ったが……。
 あと残されている問題は、このハンガーラックは立て掛け式という現実だ。でも、簡単な細工で解決する。買ってきた裁ちバサミで先端に付いているゴムキャップを少し切って壁に沿わせれば良い。耐震までは視野に入れていないので、なにかの拍子に倒れる心配はあるが、突貫工事ともいえるこの際は目を瞑ってもらうことにしよう。
 40分後――。
「物は使いようですなぁ」
 一応の耐震は考えてクローゼットの隅に立て掛けながら、秀典は感嘆の声を上げた。
「本来は一人暮らしの方に勧める部屋の隅を使った空間利用法なんですが、修繕されるまでの間に合わせですので、これで勘弁して下さい」
「いいえ、あなたはよくやってくれましたよ。ありがとうございます」
 そうお礼を言ってくる秀典の顔に険しい物を感じた繕明は思わず訊いた。
「あの、気に入りませんか? この方法――」
「いやぁ、そうではなく……」
 なにかに納得していない声で秀典は続けた。
「先ほど、あいつの服を一枚ずつ分けていた時に思ったんですよ。なんでこんなに服がいるんだ? とね――」
 秀典の眉間にシワがよる。
「こんなにあるのに、着てるところなんか見たことがない。その中には私にせがんで買わせた物もあるんだ!」
 だんだんと秀典の語勢がヒートアップしている。
「あの、それではこれで」
 面倒なモノを感じた繕明は、早々にお暇(いとま)しようと決めた――犬も食わない喧嘩になんか巻き込まれたくない。
「ありがとうございました。お礼はこのくらいでよろしいですな?」
 そう言って秀典は数えもせずに財布から紙幣を数枚渡してきた。
「いえいえ、そんなに頂けません!」
「年明け早々に、見ず知らずの私がやらかしたつまらないことに巻き込んでしまったお詫びもありますから」
 なかば押しつけられてしまった繕明は、彼の気が済むなら、と無理矢理に納得することにした。
 エントランスホールでコンシェルジュに会釈を返していると、玄関の自動ドアから派手派手なヒョウ柄のコートで着飾った女性が歩いて来た。
 繕明は、なにやらぶつくさと歯軋りしていた秀典の姿を思い出し、知らず早足で車に向かった。

 数日後――。
 得意先に新年の挨拶をして帰って来た昼休み。繕明がオフィスで珈琲を飲んでいると、後輩の勇夫が話しかけてきた。
「揃江さん、女の趣味って分からないっスよね~」
「なにそれ?」
「さっき、女性陣がスマホ片手に盛り上がってたんで、なにかな~って思って訊いてみたら。プラダがどうした、エルメスがなんだ。イタリアやフランスのブランド物のコートがオークションで激安だって言うんで見せてもらったんですよ」
「……ふ~ん」
「あんなモコモコしてるだけのコートが本来は数十万するなんて、別次元の話ですよねぇ」
「どこのオークションサイト?」
 繕明はパソコンのインターネットブラウザを開いた。
「えっ? 興味あるんですか?」
「話のネタだ」
 勇夫はなるほどとサイトの名前を言う。
 そのサイトは上位人気のオークションをトップページに表示するようになっているらしく――。
 鮮やかなヒョウ柄のコートが一位に来ていた。
 1円からスタートしているのに、もう数万円にまで値が吊り上げられている。
「確かに……、男には理解しがたい柄な」
「でしょう」

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