今日のノルマも折り返しにさしかかり、ほっと一息ついた繕明が目をいたわっていると、
「だから、それらのソフトは〝ソフト〟ってフォルダにまとめてあるってば。せっかくの〝内研〟なんだから、しっかり覚えろよ」
後輩の川下勇夫が苦虫を噛みつぶしたような声を上げた。
少々荒っぽい声色に思わず目が吸い寄せられる。
見ると、勇夫のデスクの脇では榊誠司(さかき せいじ)が肩をすぼめていた。
「あ、いやぁ。そのぉ~――」
と、小首を傾げたその顔は恐縮という言葉を綺麗に表現している。
「そのフォルダが見つからなくて……」
「ええ~、どいうこと?」
おもむろに勇夫が立ち上がり、誠司にあてがわれているデスクに足を向けた。
なるほど、今日も違うパソコンで研修中ってわけだ。
誠司は今年の4月に入社する新入社員で、昨今流行りの〝早期戦力化プログラム〟の内定研修員である――繕明の会社では〝内研〟と略称していた。
大学卒業も決まっている誠司には、卒業するまでの2ヶ月間、空いている日に出勤してもらっていた。
研修員なので定時には退勤してもらっているが、一応プロジェクトにも参加してもらっているので給料は出る。しかし、彼用のデスクはまだ用意されてはいないので、非番社員の空いているデスクをあてがっているのだ。
そのため、研修員には日替わりで監督をつけていた。
そして、今日は勇夫が監督役である。
仕事は人に教えられるようになってこそ一人前。そう思って、勤務中は黙って見ていることにしている繕明なのだが、この日はなんだか気になった。
勇夫がパソコンのデスクトップを睨みつけて、ほどなく一点を指さす。
「ここ!」
「ああ――! こんな所に……」
勇夫の強められた声に誠司はさらに肩をすぼめ、その尻すぼまりの声と一緒に消えてしまいそうだった。
そのまま自分のデスクに戻ろうとした勇夫を繕明は呼び止めた。
「ちょっと、川下」
「なんです?」
後輩二人のもとへ足早に近寄る。
「イライラするのは分かるけど、そんな言い方ないだろう」
「でもこいつ、これで3度目ッスよ?」
勇夫の糾弾に誠司が目に見えてしゅんとする。
繕明はこれ以上すぼまりようもなくなった誠司の肩を軽く叩きながら言った。
「いつも同じパソコンで出来る俺達とは違うし、まだうちの勝手も知らない状態なんだから、同じことが何度あったって仕方ないだろう? それに――」
勇夫に顔を近づけて声をひそめる。
「こんなつまらないことが原因で出社拒否でもされたらどうすんだ。お前の先輩としての裁量だって疑われるぞ」
繕明の言葉に今度は勇夫がしゅんとしてしまう。
「でっ、フォルダの場所がどうのこうのだっけ?」
わざと明るい声で繕明は二人に当面の話を振った。
誠司がうなずく。
「そうなんです。必要なフォルダはちゃんとあるんですけど、僕が見つけられなくて――」「なんで見つからないんだ。理由があるんだろ?」
そう水を向けても、誠司はためらって言おうとしない――仕方ないだろう、男にとって言い分けすることほど恥ずかしい行動はない。
「間違ったり、失敗したことを気に病むな。むしろそれをしっかり反省してもらわない方が困る」
すると、怖ず怖ずと誠司が口を開いた。
「その……、フォルダの数が多かったりとか。フォルダ名が違ってたりとかしてて――」
「おい、人の所為かよ?」
噛み付く勇夫を繕明は手で抑える。
まあ、そんなところだろう。いくら仕事用のパソコンとは言え、おのずと持ち主の癖が出てしまうものだ。
「要するに、デスクトップが散らかってて分からないんだな?」
「はい――、そうです」
誠司がうなづいている横で、なぜか勇夫がギクリとした顔をする。
「ん? 川下、どうしたんだ?」
「いえ、なんでもないっス。俺、仕事に戻っていいっスか? ちょっと急がないとヤバくて」
「ああ、いいよ」
返事を言い終わる前に、勇夫は自分のデスクに戻って行った。
なんだ? あいつ。まあ、いいか……。
繕明は問題のパソコンの持ち主の名前を確認した。
「田中さんか……。榊君、ちょっとこっち来て」
繕明は自分のデスクに誠司を連れて行った。
そして、ある画像を表示する。
そこには緑を地の色にして、黄色や青や赤などで色分けされた枠がいくつか描かれていた。そして、枠のそれぞれに〝制作データ〟〝ソフト関連〟〝メール処理〟〝報告書関連〟などの文字が分かりやすい大きな字で掲げられている。
「これは、以前うちで使ってたデスクトップの壁紙でな。この区分けされた枠内に関係するアプリケーションやショートカットを置いて、デスクトップ上を整理してたんだ。このオフィスにいるほとんどの人がこれを基準にフォルダを整理しているだろうから、分かんなくなったらこれを見てみろ」
繕明は画像を印刷して誠司に手渡した。
「あと、フォルダの名前が違ってたりしても、〝当たらずとも遠からず〟だと思うから、上手くやってくれ。それでも分らなかったら、迷わず訊けばいい」
「はい、ありがとうございます。でも――」
「なに?」
誠司が印刷されたプリントに目を落としながら言う。
「これ、すごく分かりやすいのになんでやめちゃったんですか?」
「ああ、それは――」
繕明は誠司の上げた顔に言う。
「デスクトップの色合いが五月蝿すぎて仕事に集中できないってクレームが殺到したから」
次の日――。
今日のノルマも折り返しにさしかかり、ほっと一息ついた繕明が目をいたわっていると、
「揃江さん、ちょっといいですか?」
誠司が申し訳なさそうに近づいて来た。
「どうした?」
「あの――ファイルの場所が分からなくて……」
「え? あのプリント役に立たなかったの?」
「はい、ちょっと、その、ダメみたいで……」
焦れったい声を上げる誠司は、どうにも微妙な表情をしていた。
気になった繕明は腰を上げる。
「今日はどのパソコン?」
「こっちです」
誠司のあとに付いて行き、着いた先のデスクトップを目の当たりにした繕明は呆れて吹き出した。
デスクトップ全面にファイルが散乱している。それだけならまだしも、自動整列も等間隔整列もされていないので、ビー玉がぶちまけられている様子が頭に浮かんだ。気のせいか錯覚画像みたくモニター内が歪んで見える。
「明日来たら言っとくわ」
「は、はい――」
うなづいた誠司の微妙な顔から、モニター枠の上部に掲げられたラベルに目を移す。
そこには持ち主の名前が印字されていて――。
本日お休みである川下勇夫の名前が書いてあった。