「これはまた、まっ平らになったもんだ」
「うん、暇だったから片付けてた」
 今回は新幹線に乗って3時間弱、辿り着いた香奈の部屋はこの間とは打って変わって片付いていた――というより飾り気がなくなっている。
 床に敷かれていたカーペットが取り払われ、申し分け低度のコスメ類や時計などの調度品は洋服箪笥の上にまとめられている。あとは勉強机とベッドがあるだけだ。
 重そうな段ボール箱が部屋の隅に積んであるのが気になった。見ると、箱の側面に香奈らしい律儀な字で『衣類』『参考書ほか本類』などなど、内容品が書き付けられている。
「引っ越すの?」
「その予定」
 そう言えば、香奈は大学入学を機に実家を出るとか言ってたような……。なら、本命の方も滑り止めの方もここから遠いのかな?
 考えている内に、繕明は香奈が何処の大学を受けたのかを知らない自分に今さらながら気付いた。
 当然の質問が口を突いて出てくる。
「そう言えば、何処の大学受けたの?」
「ああ!! そろそろ時間だ!!」
 言葉を遮るように言った香奈は机のノートパソコンから周辺機器を外し始め、繕明もそれを手伝う。木本家の面々はIT関連にとんと関心がなく、パソコンを持っているのは一家で香奈だけなのだ。
 繕明のスマートフォンでも見れるだろうが、どうせなら大きな画面で見た方が良いに決まっている。
「よし」
 身軽になったノートパソコンを繕明は持ち上げる。香奈が電源コードを手元でまとめると二人で頷き合ってから一階に下りた。
 階下では香奈の両親と静養も兼ねて帰省してきた姉の愛奈が談笑している。妊娠も4ヶ月を迎えた愛奈の体調が安定してきたとは言え、階段の上り下りをさせるわけにはいかない。
 繕明と香奈が居間に入ると、待ってましたと視線が集まった。
 おのずと表情を固くした両親をよそに、その向い側で愛奈が朗らかに口を開く。
「おっ! 香奈ちゃん、ついに運命の瞬間だね」
「ちょっと、やめてよお姉ちゃん」
 香奈と愛奈がじゃれ合う姿に、ふっと郷愁を覚えて繕明は微笑んだ。卓袱台に置いたパソコンをネットにつなぐ。
 インターネットのブラウザが立ち上がったところで香奈にバトンタッチした。態度にこそ出していないが、やはり緊張の瞬間を迎えて香奈の顔付きは静かなモノに変わる。
 すでに合格者発表のページをショートカットしていたらしく、やたらと広告の貼り付けられた五月蝿いホームページが、数瞬後には簡素な白地のページに切り替わった。
 ローマ字の『I』のあとに6桁の数字が続く受験番号が整然と縦に並んでいる。
 香奈に続いてその場の全員の目が画面に吸い寄せられた。
 香奈が小声で受験番号を呟きながらページをスクロールさせる。
 数秒後――。
「……あった」
 香奈がぽつんと言った。
「よし!!」
 繕明は思わずガッツポーズを取った。
「良くやった! 流石は俺の娘だ!」
 香奈の父親が笑顔を沸き立たせ、母親は満ち足りた顔で頷いてから台所に向かった――きっと夫の次の言葉「お母さん、ビール出してくれ」を予期してのことだろう。
 愛奈はふくらんできたお腹を撫でながら、
「香奈叔母ちゃん合格したよ」
 と、産まれてくる赤ちゃんに報告した。

 午後9時――。
 ようやく香奈の父親から解放された繕明は2階の客間でくつろいでいた。嬉しさの余り、いつもよりピッチが早かったので頭の中は綿が詰まったみたいになっている。大阪の父と母にも先ほどメールで香奈の合格報告はしたし、明日は無理を言って休みにしてもらった。
 感慨無量。
 その一言に尽きる気持ちだ。
 お日様の匂いがする布団の上、なんとも言えない充足感にまぶたが重くなる……。
〝繕明くん、香奈のことは任せたぞ〟
 不意にそんな言葉が聞こえた気がした。妙に明晰な響きだった。
 ――そう言えば、さっき叔父さんがそんなことを言ってたような……?
「ヨシ兄、入るよ」
 おもむろに開いたドアから香奈が顔を出した。
「お、医大生さん。どうかしましたか?」
「やだ、そんなに酔ってんの?」
「俺だって、いいことがあった日くらいは酔うよ」
 繕明は身を起こして言う。
「ほんとに、よく頑張ったな」
「うん!」
 香奈がニッコリと頷いた。
「あのさ、褒められついでに手伝って欲しいことがあるんだけど」
「ああ、いいよ」
 繕明は即答して立ち上がった。
「じゃあ、こっち。私の部屋」
 言われて香奈に付いて行った。
 部屋に入るなり、香奈が勉強机の引き出しを開けてなにかを取り出した。
「これ、どうしようかなって」
 いつだったかの紅茶の缶が、香奈の小さな手に乗っていた。
「どういうこと?」
「持って行くか、置いて行くか、どうしようかなって――」
 どっちでも気の済むようにすればいいと思ったが、そのどちらを選んでも今の香奈には納得がいかないんだろう。
 思春期の節目というのは、自分の判断より他者の意見にすがりたくなるモノだ。
「置いて行った方が良いかもね」
「あ……やっぱり、そうかな。でも、なんでヨシ兄はそう思うの?」
「アルバムみたいな物は、手元に置いておくといつでも過去に見惚れることが出来ちゃうから、今のことに集中できなくなる。大学は、自分のしたい勉強がやっと出来るところだ。今までよりも、今現在の時間が重要になってくる。過去に浸るのは、実家に帰った時くらいが丁度いい。それに――」
 知らず、繕明は香奈の頭を撫でていた。
「それは家族の思い出でもあるから、独り占めはしちゃダメだ」
 得心いったらしく、香奈は紅茶の缶を大事そうに引き出しに納めた。
 そして、ぱっと顔を明るくする。
「そうだ! 約束守ってもらわなきゃ」
「ああ、この間のな。卒業旅行だろ? 海外か? それとも沖縄?」
「私、大学にはヨシ兄の家から通うから」
 …………。
 時間が止まったように繕明は動けなくなった。しかし、酔っ払った頭に今の香奈の要求を正確に聞き取るだけの余力はなく。
「はい?」
 と、間抜けな声を上げるのが精一杯だった。
「だ・か・ら、ヨシ兄の家に住むって言ってるの」
「なっ――!!」
 最早酒気など遙か彼方へ遠退き、繕明は考えつく限りに一般道徳的質問を並べていく。
「そんなの、叔父さんと叔母さんが許さないだろう?」
「なに言ってんの? さっきお父さんと赤ら顔突合せて散々話してたじゃん」
「学生寮とかあるだろう?」
「あるにはあるけど、家賃も結構するし、世情の安全面を考えたら信頼できる人のところが一番でしょ?」
「俺んち狭いぞ」
「そもそも物が無いんだし、2DKに引っ越したんでしょ。だったら〝二人暮らし〟には打って付けじゃん」
 そう、問題はそこである。
「香奈ちゃん、君は女の子で俺は男なんだぞ!」
 すると、香奈は頬を少し紅くしながら、
「ま、それも込みでOKってこと」
 その時――。
「繕明くん、香奈のことは任せたぞ」
 階下の居間から酒臭そうな叔父の声が聞こえてきた。
 電話口に言ったあの軽はずみな言葉は、繕明にとって初めてどう片付けるのが正しいのか分からないモノだった。

小説『旅片人』 目次一覧

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