片付けがこれほど注目される背景としては、片付けが生活に密着した作業で、日々の暮らしを快適なものにする非常に大切なことであるという事と、それからもう一つ、片付けが人間の清潔感や美的感覚に大きく影響しているからかもしれません。
芸術家にとって、自分の持ち味を消されてしまうのは非常に屈辱的なことでしょう。
自分のやってきたこと、力を入れてきたことが否定されてしまっては、誰もが腹を立てしまいます。
このような感情を一般人にも引き起こしやすいことの一つが、片付けなのかもしれません。
- せっかく片付けたのに…
- 汚い!掃除をして!
- 片付けなさい!!
というように、片付けという言葉が使われる場面において、罵倒や嫌悪感のこもったネガティブな発言が多いイメージです。
「汚す」「片付けない」ということで、自分の美的感覚や清潔感を崩されてしまったり、頑張ってきたことをないがしろにされたと感じてしまうでしょう。
片付けがその人の人間性に深く関わっているが故に、人間関係に深く影響し、それが合わない場合には関係が壊れてしまうことは、むしろ自然と言えるかもしれません。
片付けが原因で離婚に発展してしまう場合も
片付けというのは人間関係に亀裂を生じさせる可能性があり、一度生じた亀裂は多大な努力をしないと、修復することが困難な場合もあります。
片付けをしっかりやる人とやらない人との関係の場合、片づけをしっかりやる人のほうが大きなストレスになっていると考えがちですが、片づけをしっかりやらない人も、やる人からはやし立てられるなどのことで、ストレスを溜めていくことは多いのです。
片付けというのは、ある意味、性格や趣味といったことよりもよっぽど、一緒に生活をしていく上で大切な要素になってくることがあるのです。
この片づけの価値観の相違で離婚を検討することも、ないわけではありません。事実、そのような悩み相談がネット上に寄せられることさえあります。
もしもパートナーの部屋が汚部屋でゴミに埋もれていたとしたら・・・。
しかし、片付けができないことで離婚というのは、なかなか深刻な問題です。
昔の日本であれば、亭主関白な家庭が多く、片づけを始めとして、妻がちゃんと家の中をきれいにしておかないと、夫が怒声を上げていたものです。
(これはこれで、どうかとも思いますが…)
ただ、その影響もあり、部屋が汚くなってしまうことでの離婚というのは、今ほど多くはなかったと考えられます。
もちろん他の要因として、昔は大家族で誰かが片付けの作業を担当すれば良かったり、近所付き合いも多く助け合って暮らしていた面もあるでしょう。
また、物が今ほどたくさんあったわけではないので、溢れてしまうことがなかったということも影響していると思います。
しかし今は、男女ともに働きに出ることが当然になっており、いわゆる亭主関白という家庭も少なくなってきています。
それに伴い、片づけを始めとする作業も、夫婦で協力しながらやっていくことが多くなります。
しかし、掃除や料理、皿洗い、洗濯、ゴミ捨てなどの家事と違い、片付けに関しては、協力しながらやるというのは実はなかなか難しい作業です。
片付いた部屋、機能的な部屋、使いやすい部屋、きれいな部屋、といった感覚が、人によって違うからです。
つまり、片付けは人によって、結果が全然ちがいます。個々に置くのが良いだろうと思って片付けたら、「どうしてそんなところに置くの!」と言われてしまっては、共同作業どころか、かえって捗らなくなってしまいます。
そして、どちらか一方が片付ける役で、他方が汚して怒られる役、という日々がだんだん酷くなっていくと・・・ガマンやストレスが極限にまで達してしまい、「離婚」にまで至ってしまうかもしれません。
片付けというと簡単な問題のように思えてしまうこともありますが、生活の基本的なことであるが故に、意外と深刻な問題の温床になっていることもあるのです。