ADHDは注意欠陥他動性障害と呼ばれる症状であり、活動性や衝動性を自分でコントロールすることが難しいといわれています。
「集中することが難しい」、「注意力がない(散漫になる)」なども症状の1つで、これによって「忘れ物をしやすい」、「部屋を片付けられない」などのことで日常生活に支障が出てきてしまいます。
ADDは注意欠陥障害のことですが、ADHDから他動性がなくなったものと考えると、非常に分かりやすくなります。他動性がなくなることで、感情の起伏などが目立たず、おとなしい子どもとして見られることもあります。
ここまで読んでもらえるとわかるとおり、ADHDやADDというのは子どもに対して診断されることが多くあります。
しかし最近になって、大人のADHD/ADDということも言われるようになりました。
片づけをすることは、集中力や注意力を要することであり、これらがないとすぐに散らかってしまったりしてしまうのです。
普通の人でも、片付け途中の段階で、モノを整理し直すために一時的にモノを全部出すなどする際に、部屋が溢れる状態になると思いますが、ここで集中力や注意力が切れてしまうと、「片付けるつもりが散らかってしまった!」となりかねません。
ただ、ADHDの症状というのは、誰でも一度は感じたり体験したことがあるものです。誰しも忘れ物をするし、片付け時に手にとった漫画を読みふけったことがあるでしょうし、「あれ、いま何しようとしてたっけ?」と思った経験はあるでしょう。むしろ体験したことがない人のほうが、珍しいと言えます。
しかし、ADHDやADDでは、これが日常茶飯事になってしまいます。
子供に対しても、「何度言っても聞かない、落ち着きがなくて同じことばかり注意している…」と、親が悩みを持つこともあるでしょう。だからといってそれですぐにADHDだということにはなりません。
実際、ADHDやADDを診断するというのはとても難しいことであり、言っても聞かないからADHDではないかと安易に診断してしまうと、それが大きな間違いになってしまうこともあります。
学校で何かあったり心配することが多い場合、それに意識がいってしまって忘れ物を何回もしてしまうということも、子どもなた当然あるでしょう。
子どもが好きなテレビを見ている時に「片づけをしろ」と言っても、多くの場合は、絶対に片付けはしないでしょう。
ADHD/ADDであるかどうかを、行動だけで判断すべきではないと思います。
子どもの過ごしている環境、家族、学校など、広い視点を考慮にいれるべきです。
それを知らない人が、行動だけで診断をしてしまうのは、ADHD/ADDと診断しているのではなく、できない原因を「押し付けている」ことにもなります。
ADHDとはこういうものだということが社会で広く言われるようになり、単純に行動からADHD/ADDだと決め付けてしまう人が多くなるのは、危険なことです。
個人の背景、環境などをしっかり知っておかなければいけません。これは大人のADHD/ADDも同じと言えるでしょう。
ADHD/ADDに対しては、「存在しない」という意見も出てきている
ADHD/ADDには、曖昧な部分がたくさんあり、非常に多くの討論がされています。
そんな中、ADHDに対して「存在しない」と考える人たちもいます。
というのも、ADHD/ADDという存在が出てきたせいで、「本来は健常児である子どもが、障害児にされてしまう」ということが言われているからです。
ADDHD/ADDは、精神症状と発達障害の両方が関係している症状と言えますが、実は製薬会社とのつながりが深くあったようで、「薬を販売したい」という背景があったのではとも言われています。
ADHD/ADDの『おかげ』で、その治療薬を多く売ることができれば、製薬会社としての儲けは大きくなります。更に利益を拡大するため(より多くの薬を広めるため)、過剰な診断がされるようになったのではないか、ということです。
ADHDは、DSM(精神障害の診断と統計の手引き)というマニュアルに長い期間、記載されています。
これは精神障害の診断基準ともなる世界的にも有名なマニュアルですが、このDSMに関わる人員の半分ほどが、製薬会社とつながりがあったとも言われています。
このため、「症状としてしっかり定義されていた…」というよりも、「製薬会社の力によってADHD/ADDの症状が作られた」と考える人も少なくありません。
ADHD/ADDの存在についてはこれから、大きく変化していく可能性があります。
片づけができないからといって単純にADHDと考えてしまうことは、通常の子どもを障害児にしてしまう可能性も持っているということを、しっかりと知っておくべきでしょう。
専門家ですら扱いが難しく、本当に正しく診断できている医師はあまりいないとも言われているくらいです。素人判断ができるものではありません。
ADHD/ADDが存在しているか、していないかということに関しては多くの意見があり、存在しないというのはその中のひとつの意見に過ぎないかもしれません。
ですが、ADHD/ADDと疑われてしまっている子どもや人の背景を見るという意味では、頭の片隅に置いておく価値はあると言えます。