第21話 バルコニーに吹く穏やかな風(前編)

 部屋の雑巾掛けをする手を休めていると洗濯機に呼ばれた。蓋を開けて洗いたてになった洗濯物のシワを軽く伸ばしてからもう一度脱水にかける。
 クッションフロアの雑巾掛けが済み、ほどなく洗濯機が鳴った。
 できるなら外干しにしたいが、バルコニーから見える南の空は機嫌が悪そうだ。繕明は午後からの陽射しを期待して、室内干しすることにした。
 2DKの間取りのふた部屋のドアに取りつけた突っ張り棒に洗濯物を掛けていく。
 バスタオルは大振りの専用ハンガー2個を使って、ホッチキスの刃みたいな形で干し、衣服類はすべて裏返しにした。
 これは空気への接触面積を大きくするためであり、洗濯物が含んでいる水分を効率良く飛ばせる。ちなみに部屋をつなぐドアに物干し竿を取りつけたのも、部屋の間を行き来きする気流を有効利用できるからだ。
 夏場なら窓を開けて空気の通り道を作り、扇風機で気流を作るところなのだが。真冬である今は電気のファンヒーターが良い――ガスヒーターは匂いがうつる。
 それに、最近の洗濯用洗剤は香りにまで気を使ってあるので、若干のアロマも楽しめる――まあ、定期的に換気しなければ匂いはくすんでくるので気を付けなければならないが。
 三日に一度の掃除が済んで、洗濯物も終わり、休日の私用は滞りなく片付いた。
 なのに、おもての曇天と同じく気持ちが晴れやかじゃない。
 いつもなら綺麗になった部屋の中を軽く散歩するのに、繕明は一人掛けのソファーに腰を深く沈めていた。
 読むとはなく開いた文庫本の物語は頭に入ってこず、だからと言って眠たくない。
 小さな、とても小さな不安感が、心のどこかにこびり付いていた。
 香奈の受験が終わって数日が経つのに、なんの連絡もない。

 やっぱり、あの激励は失敗だったんじゃないか?
 要らないことを言ってしまったんじゃないか?

 考えれば考えるほど、気持ちが悪い方に転がっていくようだった。
 珈琲でも淹れようと思って立ち上がったが、無意に部屋を歩き回るという情けない結果になってしまった。

 いっそ、こっちから連絡を入れてみようか?

 それこそ要らぬ気遣いだろ。そんな提案にまで思考が瞑想し始めた時――。

 \ピンポーン/

 簡素なインターホンが耳に響いた。衰退していた感覚器が、にわかに動機付けをされて肩がビクついた。
 新聞の勧誘か? それとも、またしても上の階に住んでる宗教家さんだろうか?
 面倒に思いながら繕明はモニターを見に行った。
 今日は留守ってことにしておこう。
 と、思っていたのだが。
「揃江さ~ん。いらっしゃいますか~」
 画面いっぱいの、文字通り満面の笑みが表示されているモニターを目の当たりにした繕明は思わず吹き出した。
 3部屋隣に住んでいる花輪夫妻の妻君、智恵美夫人である。今日も天候になど左右されない、天真爛漫ここに極まれりと言った童顔で笑っている。
 繕明は声作りの咳払いをしてから通話ボタンを押した。
「ああ、花輪さん。なにかご用ですか?」
「は~い、ご用で~す」
 語尾に〝♪〟が付いていそうな朗らかさだ。
 また、なにか片付けられなくなったのかな? だったら良い手遊びになりそうだ。
 繕明が用向きのあたりを付けていると、
「ジャガジャガジャ~ン、肉ジャガのお裾分け~」
 言われたこっちが恥ずかしい即席の効果音と共に、大きめのタッパーがモニターに映った。
 そう言えば、そんな約束をしていたな。
「ああぁ、どうもありがとうございます。今開けますね」
 繕明は消沈した気持ちで固くなった顔筋をほぐし、営業用のスマイルを浮かべる。
 よしっ! これで心の内にある物憂さはカバー出来ただろう。隣人にいらぬ気遣いはさせたくないモノだ。
 繕明は程好く明るい声を出しながらドアを開けた。
「いや~、花輪さん。わざわざありがとうございます」
「あれれ? 揃江さん元気ないですね~。なにかあったんですか~?」
 一瞬で見破られた。
「え、いや、僕はいつもこんな感じですよ」
「いいえ~。いつもはもっと爽やかですよ~」
 慌てて取り繕うとしたが、首を大きく振られてしまう。
 繕明は取りあえず用事を済ませてしまおうと智恵美の手元に目を落とした。
「すいません、こんなに沢山いただいてしまって。タッパーはあとで返しに参りますので」
「ああ、大丈夫ですよ~。ちょっとお台所をかして下さ~い」
「え――? あ、あの――」
 繕明が返事をする前に、智恵美はすすっと部屋に入ってきてしまった。
「うわぁ~、シンプルなお部屋~。すっご~い、声が響いちゃ~う」
 いつの間にやったのか、智恵美は履いてきたつっかけを揃えていた。
「大きめのお皿あります~?」
 智恵美に呆けた声を聞かされ、繕明は仕方なく食器棚を開けた。皿を受け取った智恵美は、手際良くタッパーの中身を移し替えていく。
 自分の部屋なのに、なんだか居た堪れなくない繕明は、「本当に、すいません」だの、「今日は天気が悪いですねぇ」だの。ああでもない、こうでもないと、取り留めのないことを一人でしゃべり続けた。
 すると突然、
「よし! それじゃ~――」
 洗ったタッパーを拭き終えた智恵美がこちらに向き直った。
「揃江さん、大きなお世話かもしれませんけど~。良かったら、誰からのお電話を待っているのか話してくれませんか~?」
 そう言って智恵美は小首を傾げてみせる。
「いえいえ、相談するほどのことではありませんよ」
 紳士的な声で言ったものの、繕明は内心うろたえていた。女性の勘の鋭さに驚かされる時はままあったが、ここまでピンポイントな質問をされるとは――。
 そんなことを思っていると、まるで種明かしをするように、
「揃江さん、先ほどから携帯電話を持ったままですよ~」
 智恵美に指をさされて、ようやく繕明は自分の手元を見た。見れば、モニターには香奈の電話番号が発信待ちの状態で表示されている。
 繕明はなんだか観念したような気持ちになり、溜め息をついた。
 目を上げると智恵美が柔らかく微笑んでいる。
「なにもないお部屋って、とっても綺麗に見えますけど~、それだけ気を紛らわせられる物もないんですよね~。そこにお一人でいて落ち込んじゃったら、きっと心の中が散らかっちゃうとおもうんです~」
 細められた目は慈しみに満ちていた。
「一人で片付けられない時は~、誰かに手伝ってもらえば良いんですよ~?」
 ふわふわと頼りない印象の智恵美だが、以外と如才ないらしい。おまけに、下世話な井戸端会議のネタ収拾ではなく、心の底から「頼って下さい」と彼女の顔は言っている。
 繕明はもう一度大きく溜め息をついた。
 すると自然に口が動きだし、胸の内で澱になっていることをしゃべり始めていた。

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この記事を書いた人

付焼刃俄
付焼刃俄 公式HP
ライター兼作家【活動エリア】大阪府 T市
小説家を目指してただいま修行中。
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