出先での打ち合わせが随分と押してしまった。遅めの昼食をと思ったら突然の雨。 逃げ込むように入ったファミレスでドリンクバーと適当なパスタを注文した揃江繕明(そろえ よしあき)は一息吐いた。 と同時にマナーモードにしておいた携帯電話が震えだした。振動が音声着信だと告げている。 打ち合わせ直後のことだ。なにか不手際で...
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国道178号線で府中に入った。畑の目立つ町並みがひらけては阿蘇海がのぞく。海の上に天橋立が誇る深緑の松並木が伸びていた。 繕明が景色を楽しんでいると、助手席に座る香奈が不満げな声を上げた。 「天橋立って言ったら普通はビューランドがある方でしょう? それなのに対岸側ってさぁ――」 「目的地がこっち側だから」 いささ...
今日も今日とてデスクにかじりついてモニターに向かっていると、携帯電話が震えだした。振動のパターンがメールだと告げている。 繕明はここまでの作業をバックアップして、修正確認の処理に掛けた。 PCがカリカリと頭をこねくり回している間に、ポケットから電話を引き抜いてメールを開く。 差出人は香奈だった。 [件名] やっ...
オフィスの給湯ブースに芳ばしい煙が立ち上る。トップバリューの『レギュラーコーヒー』は悪くない。酸味がなく、目の覚める苦味と香りが味わえる。安価にしてその品質は、買い手にとって実に叶った釣合い方をしている。 ささやかな休憩時間のひととき。 繕明がドリップ口から盛り上がる珈琲アロマを楽しんでいると――。 「この馬鹿野...
『こちら揃江さんのお電話番号でお間違いないでしょうか私(わたくし)南方智恵子(みなかた ちえこ)と申します突然のことで大変ご迷惑なされていると思いますがどうかお知恵をおかし願いたくてお電話を差し上げた次第です私(わたくし)中学時分より自他共に認める無類書籍好きでして数奇者と言い換えても過言ではないかと思いますそうして今...
「揃江ぇ~」 繕明のデスクに、リーダーが猫なで声を上げながら寄ってきた。思わずキーボードを叩く手が止まる。嫌な予感がする。と言うか分かりきっている。これは誰かに残業を押しつけたい時のリーダーの癖だった。 「何でしょうか?」 「今日、この後何か用事あるか?」 本題に入る前に、こちらにも選択権があるように振る舞うのもこ...
「ふつー、俺を呼びつけるかね」 揃江繕明は溜め息を混ぜて呟いた。 ハンドルの上で交差させた腕のむこうでトラックが動きだす。大型エンジンの始動音は低く重く、フロントガラス越しにも腹に響いてきた。 トラックが前進すると、コンテナの陰からを青い空を小さな雲がぼかしていた。 〝久し振りだね、ヨッちゃん〟 数日前、突然掛...
すぐそこのアスファルトに、ポツンと一つ点が付いて色が濃くなった。繕明が2歩進むと、一気に点が3つに増えた。矢継ぎ早に点がアスファルトを満たし始め、あちこちでまばらに鳴っていた衝撃音がノイズに変わる。 目にうつる景色の色が一段トーンを下げた。 雨だ。 繕明は持っていた傘をさした。 「やっぱり車で来るべきだったかな?...
「ご主人、ちょっと待って下さい」 携帯電話で話し込んでいる忠志を繕明は呼び止めた。 「奥さんが自分で片づけたいと言っているんですが」 電話を耳から外して、忠志は責めるような目で彼女を見据える。好美がくさくさした様子で言う。 「ウチがやったことやからな……」 「どないする気やねん?」 「配ろうかな思て」 好美の言葉...
「とにかく、一度来て頂けませんか? どうにも難儀しております」 2週間前に電話口で聞いた、か細い声を思い出しながら揃江繕明は京都と大阪の府境を越えた。国道を数分走った先、民家と田んぼの割合がちょうど半々の地域に、その家はあった。 車を停めて、『松戸』と書かれた表札を見てからインターフォンを押す。 「はい」 「揃江で...
井出と名乗るその男性が言うには、車はマンションの前に停めておけば問題ないとのことだった。全国的に建築物過密な日本で、そんなことってあるのか? と思っていたが、現地に着いて納得する——そして、驚いた。 湖を望めるように建てられたその集合住宅は、リゾートマンションというやつたっだ。記憶が確かなら、過去『リゾマン』と俗称...
「これは、また随分と出っ張ったもんだ」 揃江繕明(そろえ よしあき)はそう呟くと、従姉妹の木本香奈(こもと かな)が顔を赤らめて頬をふくらませた。何かを勘違いしている様子なので、「部屋のことだよ」と、訂正しておく。 顎をしゃくったドアの向こう。そこが香奈の部屋なのだが。シェイカーの中身とでも例えられようか。しっちゃ...
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